7月7日、岩手県の山田町観光協会を通じて、山田南野球スポーツ少年団に
皆様からいただいた義援金の一部を使って、
野球用品(スパイク、アンダーシャツ)を購入し、
プロ野球28会より支援させていただきました。
このときの様子も、山田町観光協会公式ブログ「山田かきくけこ通信」に
紹介されています。
↓
http://yamada-kankou.seesaa.net/article/213853733.html
募金にご協力いただいた皆様へ、ご報告とお礼を申し上げます。
2011.07.11
7月7日、岩手県の山田町観光協会を通じて、山田南野球スポーツ少年団に
皆様からいただいた義援金の一部を使って、
野球用品(スパイク、アンダーシャツ)を購入し、
プロ野球28会より支援させていただきました。
このときの様子も、山田町観光協会公式ブログ「山田かきくけこ通信」に
紹介されています。
↓
http://yamada-kankou.seesaa.net/article/213853733.html
募金にご協力いただいた皆様へ、ご報告とお礼を申し上げます。
2011.07.07
昨日、岩手県の山田町観光協会を通じて、大沢野球スポーツ少年団に
皆様からいただいた義援金の一部を使って、野球用品(スパイク)を購入し、
プロ野球28会より支援させていただきました。
子供たちに喜んでいただけたみたいで、とてもよかったです。
このときの様子も、山田町観光協会公式ブログ「山田かきくけこ通信」に
紹介されています。
↓
http://yamada-kankou.seesaa.net/article/213580340.html
募金にご協力いただいた皆様へ、ご報告とお礼を申し上げます。
2011.07.06
東北仙台の七夕まつりを起源とする「福生七夕まつり」。
第61回の今年の「福生七夕まつり」は、復興支援をテーマに
“福の生まれるまちから「元気」を仙台へ~七夕でつながる復興への願い~”
をイベントコンセプトとして開催されます。
プロ野球28会は福生七夕まつりにて、その趣旨と精神に基づき、仙台の子供たちを
元気づけることを目的としたチャリティイベントを実施させていただきます。
プロ野球選手の直筆サイン入りグッズのチャリティオークションなどを開催し
その収益金の全額を、野球用具に換えて被災地仙台の少年野球チームの
子供たちに届けます。
さらに、「届けよう、仙台エールプロジェクト」と題した市民参加型の
仙台応援プロジェクトをこの機会にスタートさせるとともに、
「短冊プロジェクト」の普及啓蒙にも努めます。
子供たちをはじめとする仙台の方々の復興のお手伝いをさせていただく
本事業を通じて、福生から熱い想いを仙台に届けます!
【実施概要(企画案)】
■事業名称
プロ野球28会東日本大震災被災地支援チャリティ事業@福生七夕まつり
「つながろう仙台! ささえよう東北! プロ野球28会チャリティエイド」
■日時
2011年8月6日(土) 19:00~20:00予定
■会場
福生市役所前特設ステージ(東京都・福生市)
■内容
①仙台復興支援チャリティトークショー
②福生から仙台へ「届けよう、仙台エールプロジェクト」のご案内
③仙台復興支援チャリティオークション(プロ野球選手の直筆サイン入りグッズ)
※上記プログラムはあくまで想定であり、変更となる場合もあります。
■出演
加藤育男(福生市長。福生七夕まつり実行委員会会長)
中畑清(プロ野球28会会長、プロ野球解説者)
加藤和夫(福生七夕まつり実行委員。プロ野球28会チャリティエイド代表発起人)
西多摩倶楽部(監督:香川正人=プロ野球28会会員)
※その他、趣旨に賛同していただいたアスリート、著名人などを調整中
福生七夕まつり公式サイトはこちら→http://www.fussa-tanabata.com/
また詳しい内容が決定次第、
本レポートサイトでも随時ご報告させていただきます。
2011.07.06
昨日、岩手県の山田町観光協会を通じて、同町内の船越野球少年団に
皆様からいただいた義援金の一部を使って、
野球用品(ベース一式・キャッチャー用具など)を購入し、
プロ野球28会より支援させていただきました。
このときの様子は、山田町観光協会公式ブログ「山田かきくけこ通信」
でも紹介されています。
↓
http://yamada-kankou.seesaa.net/article/213513707.html
募金にご協力いただいた皆様へ、ご報告とお礼を申し上げます。
2011.06.15
5月末日、陸前高田市の広田小学校・中学校の野球チームに
皆様からいただいた義援金の一部を使って、
野球用品(キャッチャー用具・バット・各用具ケース・スパイクなど)を購入し、
プロ野球28会より支援させていただきました。
募金にご協力いただいた皆様へ、この場を借りてご報告とお礼を申し上げます。
被災地の少年野球チームには、全国から支援物資が届けられているようですが、
どうしても入手困難な用具もあるそうです。
28会では広田小中学校父母の会様にご要望をお聞きしたうえで、
MIZUNO社の協力を得て用具一式をお届けさせていただきました。
津波で野球用具だけでなく
練習するグランドまで失ってしまった
陸前高田市の広田小学校野球チームは、
現在もがれきが残る畑を借りて
父母の方々が手作りでグランドを作られました。
子供たちは、その手作りのグランドで
一生懸命練習し、4日の県大会で
念願の一勝を果たされました。
今後もプロ野球28会は、
被災された方々の支援を続けていきます。
募金活動の方もまだまだ続けていきますので、
皆様のご協力よろしくお願いいたします。
2011.05.09
スポニチ本紙評論家の中畑清氏(57)が8日、都内で復興支援チャリティーイベントと題した「第6回国際和合医療コンベンション」に出席した。
民主党の大島九州男参院議員らと復興に向けた意見交換。福島県出身の中畑氏は、放射線量が高い郡山市内の小学校で表土の除去作業が行われたことに「原発から70、80キロ離れた郡山よりも近い小学校はどうなるの?これでは不安をあおるばかり」と苦言を呈した。
今後も被災地へのボランティア活動を続ける意向で「(復興までの)長い戦いに打ち勝っていきたい」と語った。
5月9日 スポニチより
2011.04.27
スポニチ本誌評論家の中畑清氏(57)が26日、元巨人コーチの篠塚和典氏(53)、タレントの松村邦洋(43)、マジシャンのアレス、演歌歌手のみち乃く兄弟とともに岩手県宮古市田老町を訪れた。
日本一を誇った高さ10メートルの防波堤を越す津波で校舎が浸水し、田老第一小の校舎を間借りしている田老第一中では、全6クラスの教室を巡回。物まねとマジックで盛り上げた後、「この先、復興の主役は君たちがなるんだよ」と激励した。
400人の被災者が暮らす避難所のグリーンピアでは子供たちに野球用具をプレゼント。「こんなつらい目に遭っているのに、どうしてこれほど元気でいられるのか。東北人の強さを肌で感じています。私も福島県出身。同じ東北人として誇りに思います」とあいさつした。さらに「この闘いには絶対に負けられない」と話し、最後は被災者と一緒に拳を固めて「勝つぞ!」を三唱して締めた。
三陸海岸の悲惨な状況と人々の強さを痛感した今回の旅。「来てよかった。復興に向けてこれからが本当のスタート。自分にできることをやっていく」と意を強くした。
≪津波にのまれた駒大後輩しのぶ≫中畑氏が今回の旅の最後に足を運んだのは、陸前高田市。津波にのまれた駒大の3年後輩、伊東進さんの焼香をするためだ。家業の文具店を継いでいた伊東さんは海岸から約2キロ離れた店で被災。いったん、高台にある自宅に帰ったが、店の点検に戻って津波の第2波にのまれたという。「優しいやつだったのに…」。かわいい後輩を失った悲しみに暮れていた。
4月27日 スポニチより
2011.04.27
スポニチ本紙評論家の中畑清氏(57)が25日、元巨人コーチの篠塚和典氏(53)、タレントの松村邦洋(43)らと東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手県大槌町の避難所を訪れた。中畑氏を待っていたのは、1枚の写真。自衛隊員ががれきの中から見つけた写真の中に、同氏が92年に当地で野球教室を開いたときの集合写真があったのだ。
約300人の被災者が避難生活を続ける大槌町中央公民館内の城山体育館。松村のノムさん(野村克也氏)や西田敏行のものまねで笑いが起きる会場で、中畑氏に1枚の写真が届けられた。92年に同じ体育館で撮った集合写真だ。
手渡したのは、東京からやってきて、写真プロジェクトと子供の支援を担当しているボランティアの山本輪さん(29)。自衛隊員ががれきの山から探し出した数万枚の写真を整理していて「きょう見つかったんです」という。中畑氏は中央に写っている自分を確認して「私にとって記念の写真が、がれきの中から…」と言って絶句した。
早朝6時に東京都調布市の自宅を出て篠塚氏と交代でハンドルを握り、車を北へ走らせた。3月末に帰った故郷の福島県矢吹町を通り過ぎてさらに北へ。7時間を超える運転を続け、大槌町へたどり着いた。昨年8月、家族旅行で訪れた町は変わり果てていた。大津波にのまれ、火災に焦がれた町。加藤宏暉町長をはじめ、32人の町職員が帰らぬ人となった。25日現在、711人の死亡が確認され、いまだに1000人近い行方不明者がいる。友人の演歌歌手「みち乃く兄弟」が当地出身という関係で縁が生まれ、何度も訪れている。
「あのきれいだった海が…。言葉が出てこないよ」。桜が九分咲きになったこの日、大槌町内の小、中学校では遅い入学式が行われた。その中、中畑氏は吉里吉里(きりきり)小学校で町内の3つの少年野球チームに野球道具をプレゼント。昭和28年生まれの野球人でつくる「28会」のメンバー、日本ハム・梨田昌孝監督から提供されたダルビッシュや斎藤のサイン入りTシャツ、色紙を賞品としてじゃんけん大会で盛り上がった。
「皆さんに元気を与えるつもりで来たけど、逆に皆さんから元気をもらいました。復興は必ずできます。一緒に頑張りましょう」
震災で亡くなった知人が眠る寺院も含めて町内5カ所を回った。中畑氏の記念の写真はサインとともに避難所に展示されることになった。
4月26日 スポニチより
2011.04.08
阪神タイガースOBのランディ・バース氏から
ビデオメッセージが届きましたので公開いたします。
2011.03.31
福島県矢吹町出身で元巨人の中畑清氏(57=本紙評論家)が30日、東日本大震災の避難所となっている郡山市のビッグパレットふくしまなどを訪れた。衣類や消毒液などの支援物資を届け、同行した前巨人コーチの篠塚和典氏(53)とともに住民たちとがっちり握手。「絶好調は必ず来る。一緒に頑張ろう」と“キヨシ節”で呼びかけた。
郡山市の災害対策本部が置かれている開成山球場に上下黒のトレーニングウエア、スニーカー姿の中畑氏の張りのある声が響き渡った。「世界中の人が注目しています。野球場が人を助けていて、野球人としてうれしい。ここから復興していきましょう。頑張ろう福島!」。安積商(現帝京安積高)時代にプレーした思い出の地で絶叫した。
同球場は昨春、中畑氏らの呼びかけでリニューアル、室内練習場などが新設され、同氏のメモリアルコーナーも設けられている。だが今回の震災では、その室内練習場にブルーシートが敷かれ避難者を温かく迎え入れた。
さらに選手用ロッカールーム、ネット裏の役員室なども避難所として使用されている。市の担当者は「今は約50人ですが、多い時は500人がここに避難していた。リニューアルされていなかったら対応できなかった」と語る。ネット裏、本来なら記者席で中畑氏に「頑張っぺ」と手を握られた大槻町の佐々木昌子さん(78)は「励まされてうれしい」と目は真っ赤だった。
「1人でも多くの人を元気にしたい」と中畑氏は精力的に動いた。開成山球場に続き、郡山市の住民約60人が避難しているニコニコこども館、富岡町、川内村の住民を中心に約2000人が避難しているビッグパレットふくしまを訪れた。1階から3階まで汗まみれになりながら各部屋、廊下で生活している住民たちの手を一人一人握り、呼びかけも次第にヒートアップ。「絶対に地元に帰れる。心を1つにして頑張ろう。イエイ」「みんなで頑張っていこう、エイエイオー」、最後には「私のキャッチフレーズ、絶好調は必ず来る。一緒に頑張ろう」と声を張り上げた。
ノートにサインをもらった富岡町の渡辺和良子さん(46)は「勇気が出た。何も持たずに逃げてきたけど、昨日ノートを買ってよかった」と涙ぐんだ。川内村の鈴木和也さん(28)は、11カ月の長女・莉奈ちゃんを抱いてもらい「娘は幸せです。こんな時に来てくれて…心強い」と声を震わせた。
熱いハートで支援活動を続ける中畑氏。27日は東京・味の素スタジアム、28日には埼玉・さいたまスーパーアリーナの避難所を訪問。29日は実兄・栄三さん(62)が経営する矢吹町の中畑畜産の牛舎で廃棄される原乳を目の当たりにした後、母校・矢吹中の避難所を訪れた。「まだまだ時間がかかるかもしれないけど、福島は必ず復活する。強い気持ちが奇跡を起こす。頑張ります」。“絶好調男”は今後も、福島の復興へ向けて走り続ける決意だ。
3月31日 スポニチより